MEMORY
Kinta1983〜1996、12
konatsu1993〜1994、2

yumi1994 /05〜2007/11

merumo 1995/02〜2008/01/


BROWNIE HEART BROWNIE CAKE
Chibiko 1998/06/18〜2011/09/18
ブラウニーのケーキ

たくさんの思い出とともに虹の橋を渡っていった子達
あまりにも思い出が多すぎて書ききることはできませんが
いつまでもいつまでも一緒だよということをと
 あなたたちに心から有難うを伝えたい。。。

HANA 1999/05/16〜2011/11/30
CARUSEL OF BROWNIE HEART JP
回転木馬

とにかく大好きなはなちゃん レイちゃんのような名犬を生んでくれて本当にありがとう
頭の良さはブラウニー一いろんなことをやってくれて逸話も沢山ありすぎて
語りつくせません

JJ  1998/04/18〜2012/03/20
BROWNIE HEARTJP EBELIN ROSE
イングリッシュローズの名前
jjはいつもみんなを見守ってくれておだやかで頭のよい子でした
最初に躾を入れた子で最後の最後まで粗相をすることもありませんでした
我慢強くやさしいJJ。。。

JACK 1998/06/18〜2012/12/05
BROWNIE HEART BLACKJACK NIGHT
ナイトの騎士

無冠の帝王とはジャックのことを言うのだと思います
私がもっとしっかりしていればうんと活躍してくれた子だと思います
とても男らしい綺麗な男の子でした

写真は又取りまとめます

レインボーブリッジ

犬の十戒

私のキンタ

hpを立ち上げた時に真っ先にキンタの話を皆に知ってもらいたい
とおもい
私の今があるのはこの犬のお陰だと思っていいます
利口で楽しかったキンタとの思い出を家族として向かえた彼の話です。

彼は1983年たぶん山のどこかで生まれました。

「いまから帰るから」の電話がわたしとキンタの最初の出会いを結びつけた。
「ただいま」「おかえり」とで迎えたわたしの目の前に真っ黒く目をぎょろぎょろさせた熊のような物体がいた。
「どうしたの?」「豚舎のえさ場で母犬と食べてたところ見つけたんだけど、母犬だけ逃げて
こいつだけ残って食べてたから山から連れてきた」というのだ。
わーーいい。前から犬が欲しかったわたしは大喜びで仔犬を抱き上げた。
ジョン以来何年ぶりだろう。
しかし・・・くさい、ど〜^しようもなく臭い。野良に加えて豚舎にいたのだから。
急いで人間用のシャンプーで何度も洗った。その間その仔犬は身じろぎもせず
わたしの言いなりに転がされていた。
要約開放されてみたものの、環境が違うので戸惑っている様子。
顔が小熊のようだ思わず「キンタ」と呼んでいた。
その日からキンタは我が家の子犬となった。
頭の良い子ですぐにトイレとか覚えてくれた記憶がある
4〜5日後主人に母犬の所在を聞いたら
2〜3日はキンタを探して豚舎のほうまで見に来てたらしいが
あきらめてこなくなったといっていた。お母さんごめんね。
でもさ、あのままキンタを離したら生きていけるかどうかもわかんないし
野犬になってしまったよね。
その山は猟に来る人が戻ってこない猟犬を置いて帰ったり捨てたりしている山で
野犬がかなりいるらしい。山の豚舎を守るために
何頭かの犬たちもいるがたまに野犬にやられてしまうらしい。
そんなところにキンタを帰すわけには行かなかった。というより
わたしがすっかりキンタのとりこになってしまっていた。

主人の先輩の動物病院へ見てもらいに行った。
「う〜〜ん、コレは柴犬かな」「そうだな」と先生
わたしの頭には???だってみみたれてるじゃん。

4ヶ月立ち大きくなってくると柴犬ではないことがわかった。「猟犬だからさ
びーぐるだよね」「びーぐる」と勝手に思い込んでしまっていた。

私とキンタは常に忙しくていない主人にかわり
いつもそばにいてくれて、遊ぶ時も寝る時も常に一緒でした。
しかし、生後5ヶ月の時ドアを開け放しておいた事から
キンタがいなくなり一晩中探したのですが見つかりませんでした。
翌朝もしかしたらと思い、発見された豚舎に行ってみました。
町から離れ車で20分くらいの道のりで
山も急な道で果たしてこんな道をキンタが真っ暗な中
行ったのかという不安な気持ちで向かったのです。

山には何頭か豚を野犬から守る犬たちがいたのです。
これがまた強そうな甲斐犬がボスでした。

かみ殺されてないと良いなと思いながら探していたら
豚舎の人が「何か探しているの?」
と聞いてくれたので
「真っ黒い5ヶ月くらいの犬なんですけど・・・」
といったとたん大笑い
「その犬なら浄化槽に落ちて泳いでいたので
引き上げて水かけておいたよ」
と言われたのです。「えっ浄化槽てなにですか?」
「豚のウンチを処理するところ」
なに!
そうするとキンタは巨大な肥溜めに落ちて
その中を泳いだということ? でした。

連れてこられたキンタはしょんぼりしていましたが
とにかくくさ〜い!kusai!臭い!
10メートル離れていても臭いが漂うほどです。
もうとにかく糞死だけは免れたので
急いで連れ帰り、洗う事5回
なかなか強力な臭いはしばらくとれませんでした。
浄化槽で溺れ死んだ犬なんてしゃれになりませんよ、まったく。

こんこんとお説教をして、今度こんな事をしたらどうたらこうたら
クドクドクドクド言い聞かせたのですが
その後もキンタの山への脱走はなくなりませんでした。
この時はじめて犬の帰省本能と言う事に気づいたのです。
これからがこのキンタの能力の素晴らしいところが出てくるのでした。
また山のボス犬チビは甲斐犬で非常に温かみのある犬だったので
その犬をしたってキンタは脱走を繰り返していたような気もします。
山に捨てられる犬は多くその犬たちは
心やさしい農場のひとたちがえさをあげなついてしまうパターンが多くなり
豚舎を守る犬と
山に放たれた猟犬たちが野犬となって戦うことも
多くなってきました。
そのたびに犬の犠牲者が出ていたと聞かされました。

すべて自分勝手な人間がやっていることだったのですが
その時点ではそこまで私は気が廻っていませんでした。
きんたのことで精一杯だったのです。

キンタは大人になるにつれちょっとビーグルと違うかな?
とは思っていたのですが、そのころはまったく
正しいビーグルのことは知りませんでしたので
ビーグルだと信じて育てていました。
体重も15キロくらいになったと思います。
主人に逃げた母犬のことを聞いた時
少し大き目の猟犬のビーグルだったといっていた事を
覚えていたからです。

その後事情があって私の実家にキンタを預ける事になり
毎日通うような状態が続きました。
でも旅行に出かける時も、友人宅に飲みに行く時も
とにかく一緒だったのでたちまち人気者
キンタ君になったのです。

キャンプでは一緒にシュラフで寝たり
海でジェットスキーに乗せてもらったり
子供のように育てました。
主人はバイクが好きだったので
バイクやさんにもしょっちゅう一緒にいって
皆に可愛がってもらっていたのです。

買いものに行くにもよくキンタを連れて行ったので
友人知人にも散歩しているのを良く目撃されたようで
「何か話しながらニコニコしていたよ」とか「犬に話し掛けてたでしょ」
などとよく言われました。
自分でも知らない間にそんなふうに歩いていたんですね。

今から10年くらい前は広場も沢山あり、散歩放して
遊ばせる事も出来たのです。
その時もいつものキンタの癖でチョロチョロといなくなって
私が先に家に戻ると4車線もあるおおきな道路を渡って
あとで帰ってくるようなへんな犬になりました。

近所の人がキンタが道路を渡っているのを
何度か見ていたそうで、ちゃんと青になってから
左右を見て渡っていたそうなんです。
犬って色盲だよな〜。なんでわかるのかな?
といつも無事に帰ってくるキンタには不思議でした。

それからマンションやアパートを変わる度に
キンタを連れて行ってまわりの臭いをかがせ
放してあげると、必ず1時間すると
ちゃんと戻ってくるのがキンタでした。
これは素晴らしい能力なんだと思いました。

6年前にやっと一緒に住めるようにと
お犬様仕様の家を建て
そここでもキンタはご近所をウロウロしていました。
キンタは11歳になっていました。

家を建てた事をキッカケにキンタのお嫁さんを
ということで、知り合いのところから
譲ってもらったのがビーグルの小夏でした。
どこにいくにもキンタと一緒で
キンタも小夏を非常に可愛がっていたのです。
小夏を飼いはじめた時は、やっぱりキンタはビーグルに
他の血が混じっている事にはっきり気がつきましたが
キンタは私にとってなくてはならない存在でしたので
そんな事も全然気にしてませんでした。

新興住宅地でしたのでその当時はあまり家もなく
犬にとっては最高に良い運動場でした。
キンタはテリトリーを増やし
道路を渡って駅の方まで進出するようになったので
気をつけないと、と思っていた矢先の出来事でした。
キンタがついていれば大丈夫といつも小夏はキンタのあとを追って
ついてまわっていたので、帰ってくるのも
出かけるのも一緒だったのですが。

私が雪退けをしているときに、こなつの首輪がはずれ
空を飛んでいた鳥を追いかけるように
飛び出していってしまったのです。
95年1月、私の不注意で小夏がひき逃げされ
駆けつけた時は、即死状態で何も出来ませんでした。1〜2分
の出来事だったのですが、轢いた車は跡形もありませんでした。
11ヶ月の命でした。
その時はじめて、車の怖さと人間なら事件になるのに
動物は平気でひき逃げされても放置される事の
憤りを感じ、なんとも感じない人が多い事に本当に怒りを覚えました。。


ごめんね、ごめんねと何度も何度も言い続け
本当に自分の犬の飼いかたを反省したのでした。
キンタはは私の悲しみがわかるかのように
ずーとそばにいてくれて、私が涙を流す度に
顔をなめてくれたのです。
まるで私のせいではないんだよといってくれている様にです。
勝手な言い分かもしれないけれど、2頭いてくれたから
私の悲しみもやわらいだんだと思います。

それから家の周りは犬を庭で放して遊ばせられるように
すべて囲いをつけ、出られない様にしたのです。

小夏の可愛らしさが忘れられず、自分を責め続けていた
私を見かねて、主人がペットショップを探して
「かわいいビーグルの子犬みつけたよ」と電話してきました。
最初は小夏が亡くなってまだ2ヶ月も経っていなかったので
ショックから食べ物ものどを通らず家にこもっていました。
飼う気がなかったのですが、見に行った瞬間
この子は私が幸せにする!という気持ちに変わりました。
それがメルモです。

キンタは12歳、キャピキャピの子犬には手を焼いていたようですが
キンタはやさしくメルモにいろいろな事を
教えたようでした。
めるちゃんは非常に賢い子で、甘え上手
キンタもお気に入りだった様です。


キンタは山で拾われたので1歳でフィラリアにかかっている事がわかり
体力がある犬だからと言う事で
砒素でフィラリアを全部退治していました。
砒素の薬知っていますか?
真っ青な目の覚めるようなブルーなのです
それを飲むとやはり少し具合が悪そうで
うんちの色は真っ青になりました
しかし無事退治することが出来たので
長生きすることが出来たのです
その後遺症で心臓肥大という持病があったのです。
歳とともにそれが心臓に負担をかけ
2年後の寒い冬96/12/29に
私が仕事で留守にしてる間に亡くなってしまいました・・
主人から電話があり亡くなったよと・・
涙が次から次へとあふれ後のことはあまり覚えていません
ただ最後キンタのそばにはメルモがいてくれたことが救いでした。
たった一人で旅たたなかった。
本当に寒い寒い冬の一日のことです

死因は肺水腫で亡くなりました。14歳でした。
最後は苦しまなかったのかなとそれだけが気がかりでした。
帰ってから顔を見ると穏やかな顔をしていました。
母も駆けつけてくれてお経をあげてくれました。
沢山に人に愛されていたキンタ
多くの人の温かい気持ちがあればこそ
波乱万丈の人生を全うすることが出来たと思います

晩年のキンタは少しぼけもあったように思います。
ご飯を食べた事をすぐ忘れるのです。
心臓に負担がかかるので、過食はさせないようにしてきましたが
段々動かなくなるとやはり脂肪もついてくるのです。
動きも鈍くなり、夜中に何度も起こされておしっこの催促をするように
なって行き、私もいらいらするようになってしまったのです。
老犬介護は本当に大変ですが、人間だって犬だって
歳をとれば皆そうなるのです。
ただ犬の場合は口が聞けないので、言いたい事も
言えずに我慢する事だけを教えられる盲導犬は
私には育てられないと思います。それが人間にとって役立つ事だとしてもです。
神経をすり減らして短い人生を生きる犬を見るのがつらいです。
私は犬に逢うと必ず犬の目を見ます。
それでそのこが幸せかどうか分かるような気がします。
犬の目は非常に表情があるのです。
特にビーグルはあるかもしれません。
役に立つ犬ではなくて心を癒せる犬であってほしいです。
ばかでもいいから、おだやかな人生を送らせてあげる事が
最大の課題です。

手を尽くしたつもりでしたが、もっと長生きさせてあげる事が
出来たのではないかと、それだけが心残りです。

私が犬の食事や健康に神経を使うのは
決して薬では病気は治らないのだということを
キンタに教えてもらったからです。
キンタには毎日4種類くらいの薬を飲ませていました。
薬は根本的に治す物ではなく、対処療法なのだということが
良く分かりました。
今思うと、私の気休めでしかなかったのかなと思ったりしています。
毎日もっとしっかりした物で
イヌタチは健康を維持できるのだという事を
しっかり学ぶ事が出来ました。
犬の為になること、それを今実践しています。

捨て犬、捨て猫は身勝手な人間が作った物なのです。
それを拾って育ててくださる方は
ほんの一部の人にしか過ぎません。
捨て犬を少なくするにはどうしたらよいのか。
きちんと繁殖した犬を、飼う資格のある人に飼ってもらう事
なのです。


私は小さい時からスヌーピーが大好きでしたから
めるちゃんの出産が大きな転機になったのです。
この喜びを一人でも多くの方に
知ってもらいたい!と言う気持ちで
ホームページを悪戦苦闘しながら作りました。

最初の私のように本当のビーグルを知らない人たちに
一番犬らしい犬ビーグル犬を知ってもらいたい。
そんな気持ちが今の私につながっています。

そしてキンタ コナツに出会いメルモとの出会いが
大きな転機となりました

ビーグルのこと勉強しなくちゃと思ったのがこの時です
私の考えはまったく覆されることとなりました
見た目ビーグルビーグルの形をしていればビーグルと思っていたのと
スタンダードのビーグルは全然違うと言うことがわかりました

犬のことを知るには一夜漬けではできません
長い歴史がありそのスタンダードと言われることを
理解できるようになるにはかなりの時間を要します
まだまだ勉強中です

でも生まれて育てている子たち
私には今までの1頭1頭が大切な子供達なのです。
現在は大所帯です。

1犬種だけでも覚える事は沢山あります。
その犬特有の病気もあるのです。

これから犬を飼うかたにも伝えたい事は
動物を飼うと言う事は生と死2つの事を
正面から見据えて飼って頂きたいと言う事です。
ただ可愛いだけでは動物は飼えません。
動物は人間よりも短命だということは心に留めておかねばならない事です。
ペットロスというのは非常に大きな問題ですが
貴方を待っている動物が沢山いる事を忘れないでほしいと思います。

犬もまた一緒に生活できる友は必要です。
もともと群れで生活していた動物なので
1頭より2頭のほうが毎日楽しそうだなと感じたのは
キンタにこいぬをあわせてからでした。

一緒に生活する事を続ける事が
どんなに勇気づけられるかわかります。

人生どんなことがあるかわかりませんが
もしも一緒に暮らしているコが育てられなくなったら
自分の手で是非里親を探していただきたいのです。
信頼できる人に。
犬たちは幸せになる権利を持って産まれてきます。
その事を心に刻んで頂けたらと思います。
私はきっとおばあちゃんになっても犬を飼い続けると思います。
自分の寿命を逆算して最後の子は飼わないとだめでしょうけれど・・・
犬が大好きだから・・・・
そして犬を飼われているかたには
どんな事があっても命を奪う権利はあなたにはないのだということを
伝えたいと思います。


最後まで読んでくださって有り難うございました。


最愛なるキンタくんへ・・・・・

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